2008年11月28日金曜日

美しい彫刻












色あせて古ぼけたように見える建造物に近寄って目を凝らすと細部にも鮮やかな彫刻が施されているのが見て取れる。

さすがは首都の王家御用達の寺院だけあって、保存状態は非常に良い。これも仏教とヒンドゥーの文化の集大成のひとつなのであろう。

こういったものを眺めていると脳内BGMにゴダイゴの曲が聞こえてくるのは30代以上の日本人だけの特権か。

2008年11月27日木曜日

お昼ごはん










公園のレストランで昼食タイム。

カレーにダールに生野菜。白いご飯はインディカ米。乾いた飯にカレーが染み込んで旨いったらない。

食事の最後にはチャイ。中国で生まれたお茶がインドでチャイになり、イスタンブール越える頃にティーになり、ポルトガルでいったんチャ(CHA:正しくはシャー)に戻り、イギリスでティーに戻る。

さてインドとネパールでチャイと言えば牛乳で紅茶を煮出した物。これは甘くなくてはだめだ。砂糖の飽和量を試すかのように甘々にして飲むべきだ。日本のカレー屋で飲むならばスティックシュガーで最低4本、スプーン大さじ3杯は欲しい。その前に辛いカレーを食べておくとなおよろし。

ダルバール広場

ダルバール広場。だったと思う。歴代の王様が作ったヒンドゥーのワットが立ち並ぶ広場。

多少砂っぽいが美しい寺院は思った以上に大きく、迫力がある。













右上の写真にある柱は昔はものすごく高かったのだがなんやかかんやかの事情でこんなに背が低くなってしまったとかなんとか。

あーはっきり覚えていない。知りたい方は現地へGO!

まんだらだらけ

ジャンバラヤと音は似てるが非なるもの、仏教絵画だ曼荼羅屋。

ダルバール広場の近所にあるサキャの知り合いの店にご挨拶。精細で美しい曼荼羅を堪能させてもらった。是非とも一枚欲しかったが、このあとポカラに寄らなきゃならぬ身としてはこれ以上荷物を増やせないのであきらめた。

店の親父さんが私のカメラにやたら興味を示していた。SONYのU-30という安物だったが、やたらに羨ましがられた。やはりSONYの名前は海外では強い。

カトマンズへの戻り道

ブングマティからカトマンズに戻ってきました。

途中遊園地らしきモノを目撃。台湾の烏来で見た遊園地のようなインパクトの無い普通の遊園地。ジェットコースターとかは無いけど。

カトマンズはさすがは首都だけあって道も広く、さりとてタイのような渋滞も特に無く順調に走って来れました。

カトマンズの建物は大抵3回以上の高層建築。なので、路地に入ると太陽が見えず、途端に方向がわからなくなります。そのせいで後日困った事になります。

2008年11月26日水曜日

お気に入りの一枚 「牛と少女」

ブングマティでのお気に入りの一枚。

田舎風景の中、牛と一緒に微笑む制服姿の女の子。ネクタイが曲がってるのはご愛嬌。たぶん小学校の低学年くらい。大きなランドセルだけど重くは無いのだろうか?

ネパール人は日本人の顔立ちによく似ているけどよく見るとやっぱり微妙に違う。どこが違うんだろう?やっぱ目のあたりが異なるんだろうなぁ。

お母さん(?)と一緒に。

2008年11月25日火曜日

ブングマティの子供たち

時間が早かったので、登校姿の子供たちに出くわした。小奇麗な制服に身を包み、学校へ通ってゆく。

ネパールでは未だ貧富の差によってすべての子供が学校に通えるわけではないらしい。子供をいい学校に通わせるために海外に働きに出る親も多い。

親の出稼ぎ先は世界中にあるが、意外な仕事がイギリスの軍隊。ネパール人は勇敢な兵士として高い評価を得ており、イギリスのインド支配の時代から傭兵として活躍していた。大東亜戦争時には日本軍と戦った事もある。グルカ兵が使うグルカナイフは強い戦士の証だ。軍を退役すると恩給が出るので、悠々自適で暮らせるのだそうな。

ブングマティの犬たち

タイや台湾でもそうだったが、犬が町のあちこちにいる。首輪をしてる犬、してない犬、どいつもこいつも放し飼い。

日本では東京オリンピックを境に野犬が一掃され、飼い犬にはみな首輪と鎖が付けられてしまった。服を着させられている気の毒な犬もいる。

人は犬と、犬は人と折り合いをつけ共生してるさまは実に自然で喜ばしい。これはつまり犬をいじめたり食べたりする輩がいないからこそ犬たちも安心して暮らしていけるのだろう。

世界には犬をいじめて辛い味噌で煮こんで食べてしまう国もあると聞くが、まぁ、近寄らないでおこう。

でも臆病な日本人としては、狂犬病の予防注射はしてないんだろうなぁ、発症したら致死率100%だぜ、くわばらくわばら。なんて不遜な事も考えてしまったりする

2008年11月24日月曜日

ブングマティの人々

ブングマティに住む人たちは実に良い笑顔で笑っている。

幸せってなんだっけと明石屋さんまが歌っていたが、こんな笑顔で暮らせることが幸せって事なんだろう。

ブングマティの町並み

ブングマティはカトマンズから南に30km離れた郊外の田舎町。

途中の道は所々舗装に空いた穴を避けながら走らなければならない。さらにこの時期、軍隊による検問も随所にあった。マオイストへの警戒のようだ。

さて、ブングマティの建物を見ると、レンガ造りが大半で、しかもかなりの年代物だ。道は基本的に未舗装だが、所々石畳になっている。

ヒンドゥーのストゥーパもあり、宗教と生活の密接さが伺える。












のどかな風景の中にまたかという感じでコカコーラの看板が現れる。まったく、どこにでもあるんだなこの砂糖水は。

少し興さめて、コーラなからましかばと覚えしか。

バスターミナル

朝焼けの中に浮かぶバスターミナル。

次の目的地のポカラには当初バスで向かうつもりだった。でもサキャさん曰く、「バスは危険」。

何が危険なのか。まず道が悪い。雨季になるとぬかるんでまともに走れないような道なんだそうだ。そして車もボロイ。容易に想像できる。結局乗ってないのでわからないが、後年乗ったアンコールワット行きのバスとどっちがひどい乗り心地だったんだろうか?あれ以上ひどい乗り物は無いと思いたい。この話はまたいずれ。

今は冬なので雨の心配は無いが、もっと危ないモノがある。「マオイスト」。つまり毛沢東主義者のゲリラ活動がこの時期盛んだったのだ。バスを襲って殺しはしないが金品を取られたりする事があるらしい。名目は「資金援助」。この時点では後年この組織が政権の一翼を担うことになるとは夢にも思わなかった。

サキャさんの強い薦めもあって結局ポカラへは飛行機で飛ぶことになった。

朝のカトマンズ

夜が明けて、迎えに来てくれたサキャさんのバイクに乗せてもらい、ブングマティへ出発。

先にも書いたが、ネパールの道路にはいろいろな物が入り乱れて走っている。車にバイクに人に馬。

騎兵隊は道路で信号待ちしている間に一仕事して落し物をしてゆく。馬の粗相をとがめる人も気にする人もいないようだ。やがては乾いて野に混じる。

これがカトマンズの日常風景。

2008年11月23日日曜日

カトマンズのホテル

食事も終わって、タクシーでカトマンズ市内のホテルまで送ってもらった。

この時に乗ったタクシーが恐らく初期型のトヨタカローラ。自分が子供の頃に作られたであろう車がネパールで元気に走っている様は感動に値する。エンジンも快調で乗り心地も悪くなかった。

ネパールでは最近の排ガス規制の影響で、中古車の輸入制限がされているらしく、日本車で走っているのはものすごく古い物か、最近の物のいづれかである。

さて、ホテルに着いた。1泊25ドル。ちょと高いか。ホットシャワーのみで湯船は無い。従って寒い。暖房器具は写真に写っている赤外線ストーブのみ。これが全然暖かくない。聞くところによるとネパールの家庭には基本的に暖房器具は無く、寒いときは着込んだり暖かい物を飲み食いするそうな。ああ、コタツが懐かしい。

長かった一日が暮れてゆく。

サキャさん家のカレー

酒場からサキャさんの家に戻ってくると、サキャさんの若奥さんがカレーを作っていてくれたのでご馳走になることになった。

ネパールは日本と同じく主食は米。さらにたんまり盛ったご飯の周りにカレーやらほうれん草のおひたしの様な野菜を乗せ、これらを混ぜ合わせて食べる。

右手で食べるのが正しい作法なので、自分も挑戦。4本指でご飯を掬い、親指で口に押し込む。スプーンで食べるよりも明らかに美味しいので、是非とも試していただきたい。

なんで右手だけなのかについては諸説あり、トイレで使うのが左手であり、不浄の手であるからという説や、経典の中で左手で食べるのは悪魔の作法と定義されているからとか、昔読んだ本に書いてあった。

折り紙

海外に行く際に必ずもって行く物の一つ、それが折り紙。老若男女問わず、日本の折り紙は喜ばれる。まぁ、折れるのは鶴だけだけど。

というわけで、子供たちに折り紙を教え始めた。灯りが無いのでマグライトを頭に乗っけた間抜けな状態で折り紙教室を開始。

子供たちに手本を見せながら折り方を教えていく。たどたどしい手つきで懸命に紙に折り目を付けていく子供たち。やがて自分たちで折った紙が鳥の姿になるのを見ると目を輝かせて喜んでくれた。

この瞬間が見られるから旅に折り紙は欠かせない。メモにも使えるし。ダイソーで105円(税込み)。

酒場の家族

この酒場は家族で営んでおり、子供たちも手伝いをしている。

お父さんの作った料理を娘さんたちがお客に運んでいる。アジアの屋台ではよく見る光景だが、ここの家族は特にみんな明るく、屈託の無い笑顔を湛えている。

電気が消えて真っ暗な店内を明るく演出する笑顔の人たち。これはこれで幸せな光景なんだなぁと羨ましくも思える。

一番下の娘さんが着ているジャンパーはなぜかJリーグのマークが。あと、お兄さんはオール阪神に似ている。

あれから5年かぁ、美人に育ったんだろうなぁ。

酒の肴

古今東西、旨い酒には旨い肴が必要。
インド、ネパールと言えばカレーである。よってすべての料理はカレー味。

サキャさんが「これはどんな料理だと思いますか?」と聞いてくる。一皿目は野菜のカレースープだ。2皿目は肉?いやチーズか?と逡巡していると「これは牛肉(水牛肉)ですよ。どこの部位かわかりますか?」とサキャさん。
いやな予感もあるけど、とりあえず食べてみよう。まったりプニプニとしていてカマンベールチーズのような舌触り。味はまぁ、カレーだが。これはあれだな、なんというか、今(2003年末)現在アメリカとイギリスで話題になってる、レクター教授と山岡士郎の好物の・・・

サキャさん、答えは?「脳みそです」。・・・・やっぱり!

まぁでも味は悪くないし、これは牛でなくて水牛だし、せっかくだから食べられそうなものは何でも挑戦しておこう。(この考えが後に自分を窮地に追い込むわけだが・・・)

楽しい酒場の夜は過ぎてゆく。

ブングマティの酒場

ブングマティ村のバスターミナル広場にある酒場にやって来た。
真っ暗な店内に地元の男たちが楽しげに
集っていた。みなとても優しく穏やかで、あっという間に溶け込むことが出来た。
ここで飲まれて
いる酒はネパールで有名なラクシーという蒸留酒ではなく、
醸造酒のようだった。日本酒に炭酸を含んだような味。おそらく原料は米だろう。非常に飲みやすく、ジュース感覚で飲めてしまう、アルコール度数は日本酒よりも低い感じ。おそらく4~5%くらいなんじゃないかな?

停電

サキャさんの家でパソコンをいじっていたら突然電源が落ちた。停電である。

電力供給の安定しないネパールでは頻繁に電圧降下や停電が発生する。しかも復旧は遅い。この日の停電も復旧したのはあくる日の夕方だったそうだ。ちなみに日本の年間平均停電時間は6分だそうだ。

そんな事情のせいか、ネパールでパソコンを持っている家には必ずUPS(無停電電源装置)がある。そのUPSが頻繁にピーピーなっているところ見ると電圧が安定していない事を実感する。

真っ暗な室内では何も出来ないので、サキャさんに村を案内してもらうことになった。村中が漆黒の闇に沈んでおり、灯りがほとんど無い。バックパックで一人旅をしていたらとても近づけない風景である。